アドラー心理学を世に広めた名著『嫌われる勇気』を徹底解剖してみた

今めちゃくちゃ人気です。

『人はいま、この瞬間から幸せになれる』

なぜ、あなたはいつまでも変われないのか?
なぜ、あなたは劣等感を克服できないのか?
なぜ、あなたは幸せを実感できないのか?
なぜ、あなたは過去にとらわれてしまうのか?

アルフレッド・アドラーの思想にこの答えがあります。

 

アドラーの思想について書かれたのがこちらの本

2014年 Amazon書籍年間ランキング1位獲得。哲人と青年の対話形式で語られています。

「嫌われる勇気」というキャッチーなタイトルと、目を引く青い表紙にひかれてわたしも購入したのですが、読んだらもう目からウロコが飛び出ました。

わたしが自己啓発本にハマったのはなにを隠そうこの本が原因です。

まだ読んだことがない人、まだアドラーを知らない人、「マジで」読んだ方がいいです!!

下手したら人生変わるレベルで素晴らしいです。

 

この「嫌われる勇気」の影響を受けて数々の本が発売され、空前のアドラーブームを巻き起こしました。

今ではだいぶアドラー思想も定着してきたかなという感じですが、あまりビジネス書や自己啓発本を読まない主婦にはまだまだ知らない人も多いのではないか?

また、この本は対話形式で読みやすいのですが内容はかなり概念的というかスケールのでかい話なので、人によっては理解しにくいかも?

ということで

今回私がアドラー心理学について徹底解剖してみたいと思います!

※全6回に分けて書いた記事を1つにまとめたのでかなり長い記事になってます。

今はその続編である

も発売されています。

アドラーとは?

アルフレッド・アドラー(1870年-1937年)
オーストリア出身の精神科医、心理学者。心理学で有名なフロイト、ユングに並ぶ三大巨頭の1人として知られる。
「個人心理学」(アドラー心理学と呼ばれている)を提唱した。

アドラー心理学

目的論

私たちは普段、「トラウマ」という考え方を持っていると思います。過去にこんなことがあったから、今こうなっているのだ。という発想です。

この発想は「原因論」と言い、フロイトが提唱した考え方です。

原因があって結果がある。至極もっともな考え方のように思われますが、アドラーはこの原因論を完全に否定しています。ここがとても画期的な部分で、わたしの目からウロコが出た部分でもあります。

原因論
「心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしている。」

目的論
「自らの目的を達成するために、過去の出来事に意味づけを行っている。」

ちょっとわかりにくいですかね。

 

たとえば
「過去にいじめを受けたトラウマがあるから、大人になっても怖くて社会に出られない。」という人がいたとします。

原因論で考えれば、いじめを受けたせいで社会に出られないのね。かわいそうに・・。です。

 

これが心理カウンセリングでも普通に行われていて、

「今こんな状況なんです。」

『過去にこんなことはありませんでしたか?』

「はい!そんなことがありました。」

『おそらくそれが原因だと思われます。』

 

・・・・・だから?

 

なんの解決にもなってないですよね。

 

でもアドラーはこう言います。

『あなたはなぜ社会に出たくないのですか?』

「過去にいじめられた経験があるからです」

『じゃあいじめられた経験のある人は、全員社会に出られないのですか?』

「いえ、それは・・・。」

 

ちがいますよね。

トラウマによって未来が決定されるなんてことはないんです。

 

結局は、

過去の出来事に対して

自分がどのような意味を与えるか

そしてどのような目的を持つか

これで未来が決まるのです。

 

過去にいじめられたとしても、「なにくそ!いつか見返してやる!!」と努力し、誰もがうらやむ人生を歩んでいる人もいるでしょう。

このような人は、いじめられるような人生なんてもうこりごりだ!誰もがうらやむ人生を送ってやるぞ!という目的のために行動をした結果、本当に誰もがうらやむ人生を手に入れたのです。

 

一方で、先ほどの社会に出られない人は、いじめられた経験から、自分は社会に出てもきっといじめられるはずだ!と考えてもう二度といじめられたくない!という目的のために行動をした結果が、社会に出ないという決断だっただけです。

このどちらも「目的」のために行動していますよね。

同じいじめられた過去を持っているけれど、自分がその過去をどう受け止めるか。その過去に対してどう対処するのか。それによって未来は変わるのです。

つまり、言葉はきついですが「ただのいいわけ」だということです。

 

自分がマイナス思考で社会に飛び込む勇気がないだけなのに、いじめられたせいにしているだけなのです。

胸が痛いですね。。

でも現実はそうなんだと思います。

 

確かにつらい過去を経験したことはかわいそうです。

でも起きてしまったことは仕方がない。

そのことで一生悲しい人生にするんですか?ということです。

これからの人生をどうしていくかは「今、この時点から」自分で決められます。

というか自分にしか決められません。

 

アドラーはまたこうも言っています。

『人は変われる』を前提に考えよ。

 

フロイトの原因論のように、過去によって未来が決定されてしまうのなら、それこそお先真っ暗です。

いじめられたらもう最後。その過去がある限り未来は変わらない(明るい未来は来ない)ということになってしまうのですから。

この原因論で考えている限り一生苦しみは消えません。

いじめられたせいで私はこうなってしまったのだ!と、ずっと恨みと悲しみの人生を送ることになるでしょう。

 

でもそうじゃない。

 

今の苦しい現実を作っていたのは、まぎれもなく自分自身だったのだと気づき、過去の意味づけと未来の目的を変えれば人生も変わるということがわかれば、もうこっちのものです。

これから先の人生は自分の手で切り開いてゆけるのですから。

 

『人は変われる』

 

どんなことがあっても乗り越えていけますよ。と、アドラーは教えてくれています。

このようにアドラー心理学では、「過去の原因」ではなく、「今の目的」を考えます。

「私たちはみな、なにかしらの目的のために行動している」これが目的論の軸です。

 

 

もう一つ重要な要素としては、その目的には必ず自分にとってのメリットがある。ということがあります。

 

社会に出られずに苦しんでいるのにメリットなんてどこにあるの?と思うかもしれませんが、その人にとってのメリットとは、ズバリ社会に出なくて済むことです。

社会に出なければもういじめられる心配がないので、めちゃくちゃ安心ですよね。

本人は不安で怖くてつらくて悲しいかもしれませんが、しっかりとメリットは受け取っています。

社会に出ても、もしかしたらいじめられず楽しくやっていけるかもしれない。それはわかっているけど、もしかしたらいじめられるかもしれない。その2つを天秤にかけた時、いじめられるかもしれない危険を回避するほうが得策だと判断したのです。

 

人はメリットがなければ行動しません。

 

わざわざ自分をつらくさせるために行動する人はいませんよね。

一見わざと自分を傷つけているように見える人でも、実は裏に必ずメリットが隠れています。

「人から心配してもらえる」

「親が注意を向けてくれる」

「傷ついた自分を見せることで復讐ができる」

などです。

このような人も実際本当に苦しんでいると思いますが、それも実は自分で選んでいます。自分を傷つけることよりもメリットを受け取ることのほうが、自分にとって良いと判断しているのです。

 

・・・かなりナイーブな部分にまでつっこんで話しています。

 

でも、このアドラー心理学を知ることで、このようなつらい思いをしている人にもどうか幸せになって欲しい。

そう願ってあえてきついことも書いています。

受け止めきれず、さらに苦しんでしまったらごめんなさい。

 

でも

必ず幸せになれます。

すべては自分次第。

ということだけは伝えておきたいと思います。

わたしも実際この本を読んで、気づかされることがたくさんありました。

 

人や環境のせいにすることの未熟さ、自分の人生を自分の手で築いていくことの大切さ、世界は自由だということ。ほんとに多くを学びました。

この本に出会えたおかげで、今のわたしがあり、今、過去最高に幸せです。

これからなんだってできる気がします。

 

ライフスタイル

アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」(人生における思考や行動の傾向)と呼びます。性格というと生まれ持ったもので、変えられないものというイメージがありますよね。「私はこういう性格だから・・」という言葉をよく聞きます。これはつまり、「私はこういう性格だから(変われないから仕方がないのよ)・・」ということですよね。

しかしアドラーは、それは「性格」なのではなく、そういう「世界観」を持っているだけだと言います。

 

別の言い方をすると、自分の意志とは関係なく元から備わっているもの(性格)ではなく、自ら選び取ったもの(ライフスタイル、世界観)であるということです。

 

私、怒りっぽい性格なのよ・・なのではなくすぐ怒るという手段を自分で選んでいるだけということです。

 

なかなか衝撃的な定義です。

性格なら仕方ないな・・という言い訳、甘えが通用しないということですからね。

 

いや、別に好きでこの性格選んだわけじゃないし!という方もいるでしょう。もちろん、意識的にそのライフスタイルを選んだわけではないと思います。

アドラーの見解では、およそ10歳前後で人は無意識ながらもそのライフスタイルを選んでいると言われています。

なので、10歳までの家庭環境や経験がライフスタイルに大きく影響します。その10歳のときに、それまでの経験から、「世の中はこういうものだ」というような自分なりの判断を下し、それにうまく順応できるようなライフスタイルを選び取ります。

 

たとえば、親に自分の意見を素直になんでも口にしたら、子供のくせにえらそうに!口ごたえするな!とこっぴどくしかられた経験があったとしたら、その子は自分の意見はあまり口にしないほうがいいな。。と判断し、いつも自分の意見をぐっと飲みこんで周りに合わせる子になるかもしれません。

逆に、親に自分の意見を素直になんでも口にしたら、自分の考えをしっかり言えてえらいわね!それがあなたのとってもいいところよ!と自分の意見をすべて肯定してほめてもらえた経験があったとしたら、その子は、そうか自分の意見を言うことはいいことなんだ!と判断し、これからも自分の意見を自信をもって堂々と話していく子になるかもしれません。

 

このように、無意識ですが、周りの環境に強く影響を受け、今のライフスタイルが出来上がっていきます。

自分の性格を考えてみて、思い当たる節はあるでしょうか?

 

でもじゃあ10歳の時でもうライフスタイルが固定されちゃってるってことでしょ?今さらどうしようもないじゃん!と思うかもしれませんが、そうではありません。

 

ライフスタイルが生まれながらに持っているものではなく、自分で選んだものであるということは、再び自分で選びなおすことができるということなのです!

ここすっごく重要です。

 

子供は親を選べませんし、生まれる時代や国も選べません。どこに生まれるかによって、つらい思いをすることもあるでしょう。なんで私ばっかりこんな目に・・と思ってしまう気持ちもわかります。

子供のうちはそれでもなんとか乗り切っていくしか方法はないかもしれません。情報も少ないし、世の中のこともわかりませんから。

でも大人になれば、いくらでも方法はあります。

大人になった今でも、周りのせい、自分の性格のせいにして、いつまでも不幸をなげいているのはもったいないです。なぜなら、自分でライフスタイルは選べるからです。

 

わたしはなんて不幸なんだ。。と嘆いて一生を終えるという人生も選べますし、これからは人一倍幸せを手にしてやるぞ!と前向きに一生を終えるという人生も選べます。

 

アドラーはこう言います。

「あなたが変われないでいるのは、自らに対して変わらないという決心を下しているからなのです。あなたは少しくらい不便で不自由なことがあったとしても、今のライフスタイルの方が慣れていて使いやすく、そのまま変えずにいるほうが楽だと思っているはずです。」

そのままの私でいれば、これまでの経験から、だいたいどんなことが起こってどんなふうに対処すればいいのか、その結果だいたいどうなるのか推測できます。

しかし、新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分になにが起きるのか、どう対処すればいいのかわからなくなり、未来が見通し辛くなり、不安だらけになり、また、最悪今よりも不幸になるかもしれない。

 

結局は、いろいろと不満はあったとしても、このままの私でいるほうが楽であり安心なのです

 

このことから、アドラー心理学は、「勇気の心理学」と言われています。

あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。
ましてや能力が足りないのでもない。
あなたには、ただ、”勇気”が足りない。
いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。

私が好きな言葉です。

 

あなたはもう、性格は変えられるのだということを知っています。自分で幸せをつかみ取れることも。あとは勇気を出すだけです。

大丈夫。

かならず今よりも良い未来が待っています。

 

あなたの今のライフスタイルは、若干10歳の幼いあなたが選んだものです。

その頃よりも今のあなたはいろんなことを知っていて、何が良くて何が悪いのか、その判断の精度はもっと上がっているはずです。

子供のころは親が人生のすべてだったかもしれません。

でも、これからは家族だって選べます。

 

あなたが30歳で結婚したとすれば、平均寿命が80歳だとしたら親と過ごすのは30年間。結婚相手と過ごすのは50年間です。

自分で選んだ家族と過ごす人生のほうが長いですよね。

 

親と過ごす上では有効だったライフスタイルが、学校や社会や結婚相手と過ごす上ではうまくいかないこともあります。

あれ?なんかうまくいかないな。。と感じたら、自分のライフスタイルを選びなおす絶好のチャンスです。

今のライフスタイルよりもさらに良いと思われるライフスタイルを選び直しましょう。

ちょっと概念的でわかりづらいですか・・?

先ほどの自分の意見が言えない子の例で言うと、親といる時は、怒られるので、当然自分の意見を言わないほうが良いでしょう。当時そのライフスタイルを選んだことは間違っていません。

しかし、結婚してからも自分の意見を言わなくて、そのことで結婚相手が不安になったり、ちゃんと話してくれなきゃわからないよ!とケンカが増えたら?

または、自分の意見を言わないせいで、いつも結婚相手のいいなりのようになってしまい、我慢ばかりになって自分自身つらくなってきてしまったら?

このどちらも、自分の意見をただ素直に話すだけで解決する可能性がありますよね。

でも自分の意見を話して、また親のように怒られたら・・。と怖くなる気持ちもわかります。

だって実際その経験をしたんですものね。

でも、今のままのライフスタイルでもつらいですよね?

 

ここで「勇気」です。

 

どちみち今のままでもうまくいかないのなら、勇気を出して自分の意見を話してみる。

その結果、驚くほど人生が生きやすく、幸せを感じられるようになるかもしれない。

 

また、それがきっかけでさらに結婚相手との仲が悪くなるかもしれない。そしたらまた、次の作戦を考えればいいのです。

自分が我慢ばかりしなければ付き合っていけないような相手ならば、そもそも付き合う必要もありません。もっと自分に合った良い人を見つければいいのです。

 

えー!相手と別れるなんて嫌!それなら我慢するからいいわ!と思うのなら仕方ありません。一生我慢の人生を選ぶのもあなたの自由です。

 

わたしは、より幸せになれるライフスタイルを選びたい!と思いました。だって自分で選べるから。

自分で幸せへの道を選べるから。必要なのは「勇気」だけです。

 

 

結果どう転ぶかわからないけど、失敗したらまた考えればいいだけでしょ?!そうやって試行錯誤していけば長い目でみれば絶対幸せなれるじゃん!というのが私の考え方です。

この考え方を持ってから、人生がすごく楽しくなりました。自分で自分の人生をコントロールしてる感が爽快です。

 

これまでは、なにもかも周りの環境によって人生が決定されているような気分でいました。

みんな勉強してるから勉強して、みんな大学行くから大学行って、みんな就職してるから就活して。

ここに自分の意志なんてありませんでした。自分で選んでるんじゃなくて、みんなが選んでるから選んでたんです。

そして就職した先がすごくつらくて、いつも逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

 

たまたま内定出たとこに就職しただけでしたから、全然やりたい仕事でもなんでもなかったんです。

毎日つらいつらいつらい・・それしか頭になかったけれど、なぜか仕事なんてそういうものだと思っていたし、この会社はきっとブラックなんだろうなーとか、この上司が悪いんだとかそんなことしか頭に浮かばず、まさか自分がちゃんと選んでないせいだなんて思いもよりませんでした。

 

そりゃ自分がやりたくて選んだわけじゃないから、楽しいわけないんです。

そして、つらければ辞めればいいだけなのに、世間体を気にして辞めなかったのも自分です。

 

全部自分のせいだったんですよ。

ここに気が付いたとき、はっ!としましたね。

それと同時に、さーーーーーっと未来が開けた気がしました。

 

ああ。

じゃあ自分次第でなんとでもできるじゃん♪って思いました。

周りは簡単に変えられないけれど、自分だけなら簡単に変えられるって思いました。

要は、今までの考え方よりも、こっちの考え方のほうが良さそうだなってやつを試していけばいいだけなんです。

今までの考え方でうまくいってる部分はそのままで、うまくいかなかった部分だけをより良い考え方に切り替えていく。

これをやっていくとね、本当に人生が良くなっていきますよ。

人は変わりたくないと思う生き物だけれど、人は変われる生き物でもある。

あなたも「幸せになる勇気」を出してみませんか?

すべての悩みは対人関係

アドラーは、「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と断言しています。

「嫌われる勇気」の中で、自分のことが嫌いな青年が登場するのですが、この青年は、短所ばかりで悲観的でひねくれ者で、自分でも面倒くさい男だと思っているから、こんな自分を好きになってくれる人なんて現れないと思っていました。

でも別に好きで自分のことを嫌いなわけでもないし、目的論を唱えるのなら、自分を嫌いなことにどんな目的(メリット)があるのか。と哲人に聞きます。

そんな青年に対して、あなたの目的とはズバリ対人関係を避け、他者との関係の中で傷つかないことだと諭します。こんな人間誰にも好かれないだろうと思われるような人間でいることで、誰とも関わりを持たなくて済む。という目的です。

 

誰とも関わりを持たなくていいということは、誰からも嫌われることもない。

つまり対人関係で傷つかずに済むというメリットが得られているという理屈です。

このような、「自分のことが嫌いだ」という一見、自分だけの悩みと思えるようなことも、実は対人関係の悩みだということです。

 

また、孤独もしかり。

 

宇宙でそもそも自分ひとりしか存在しないのであれば、孤独という概念もなくなる。孤独を感じるのは、他者や社会がまわりに存在していて、そこから疎外されていると感じるからこそ孤独なのだと。

孤独を感じるためにも他者が必要であり、孤独もまた対人関係の悩みであると哲人は話します。

 

対人関係の悩みで特に多いのは「劣等感」でしょうか。ついまわりの人と自分を比べて、劣等感を感じてしまうことがあるでしょう。

この劣等感については、アドラーは様々な見解を述べています。

劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」である

人間はみな同じではないので、必ず優位性・劣等性は生まれます。しかし、劣等性があることと「劣等感」があることはまた別です。

つまり、その劣等性に対して、自分がどのように解釈するか。劣等に感じるか感じないかは自分次第ということです。

 

例えば、身長が低いことで悩んでいる男性がいるとします。身長が低いというのは、身長の高さ比べで言えばたしかに劣等性と言えるでしょう。しかし、身長が低いほうが有利になるスポーツもあるし、身長が高い人は威圧感があって怖いから身長の低い人のほうが好きだという女性もいるでしょう。

 

つまり、劣等感を抱くということは、自分で自分をおとしめて苦しんでいるということです。場合によっては優位になることもあるのに、劣等だと決めつけているのですから。

しかしアドラーは劣等感は誰にでもあるものだとも認めています。

それは人間の本能のようなもので、無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求があるからだと言います。これを「優越性の追求」と呼びます。簡単に言えば、成長したい、向上したい、理想の状態に近づきたい。という欲求のことです。

劣等感をバネに、この優越性を追求した場合は、それは逆に良い成長促進剤となるので、劣等感を持つことも決して悪いことではないとアドラーは言います。

 

問題なのは「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」

 

劣等コンプレックスとは、自分の劣等感を言い訳に使い始めた状態のことを指します。

「私はブサイクだからモテないの。」

「私は頭が悪いから仕事ができないの。」

これを「見かけの因果律」と呼びます。本来なんの関係もないところに、あたかも重大な関係があるかのように自らを納得させること。これはただの言い訳だということです。

 

この「○○だから~できない。」と言っている人は、つまり「○○さえあったなら私は~できるのに。」と言っているのです。

また、優越コンプレックスとは、あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸っている状態のことを指します。

自分のことをよく自慢する人、いませんか?それは劣等感をごまかすためです。そうでもしないと周囲の人は自分を認めてくれないのではないと怖れているから、自慢して自分の価値を伝えずにはいられないのです。

この、劣等コンプレックスと優越コンプレックスは、一見真逆のようですが、実は根っこは同じ、劣等感をごまかすための思考です。

劣等コンプレックスでは、○○がないからできないのだと○○のせいにすることで、自分の無力さをごまかします。
○○さえあれば私だってできるもん!という仮定の中で自分の価値を示します。

優越コンプレックスでは、有名人と知り合いであることを示唆したり、豪華な宝石を見せびらかすことで金持ちアピールをしたり、過去の栄光にすがってその話ばかりしていたり、今の自分の無力さを他の部分で補おうとします。

 

アドラーは「劣等感を長く持ち続けることに我慢できる人は誰もいない。」と言います。

劣等感は誰もが抱く感情ではあるが、ずっと持ち続けるのにはあまりにも苦しいものだと。だから人は、その劣等感をごまかすために、仮定の中での価値にすがったり、今の自分以外のものの価値にすがったりしてしまうのです。これらの人は、成長することをあきらめてしまった人とも言えます。

劣等感をバネに勉強にはげむことよりも、手っ取り早く言い訳にして逃げるほうを選んだということです。

本当はすごいんだぞ~。こんなものを持ってるんだからすごいでしょ~。私は今のままでもすごいんだから、別にがんばる必要ないよね!ということです。

これだと一生、劣等感は消えませんね。

しかし、これらよりもっと厄介なパターンがあります。

 

それは「不幸自慢」です。

 

これを使う人たちは、自分が不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるというただ一点において、人の上に立とうとします。

たとえば、自分はブサイクだから彼氏ができないのだと考えている人がいて、友達が「人は見た目じゃないよ~!」と励ましたら、「あなたに私(ブサイク)の気持ちなんてわからないわ!」と拒絶したとします。

そしたらどうでしょう。

もはや何も言えなくなりますよね。

だんだん腫れ物に触るようにその人と接するようになるでしょう。自分の彼氏の話なんて気軽にできませんね。。

 

この、腫れ物に触るように接してもらうことこそが、ズバリこの不幸自慢をする人の目的なのです。

 

自分は「不幸だ」ということを武器に、相手を支配しようとしているのです。弱者とは、強者から優しくされるべき存在である。という弱さの権力を使っています。

たしかに弱さは武器になります。

しかし、不幸と弱さを武器にしている以上、その人は常に不幸で常に弱い存在でいなくてはならなくなります。

一生不幸でいなければいけないなんて悲しいですよね。もし心当たりのある方は、はっと気づいてください。

 

わたしも体調がずっと悪くて、なにもかもがつらいとき、不幸自慢をしていたなと思います。誰かに「大丈夫?」と心配してもらいたかったのです。わたしはこんなにつらくてつらくて苦しいの。。ということをわかってもらいたかった。

相手もそんな話ばかり聞かされてしんどかったと思います。そして、優しい言葉をかけてもらえると、わたしは満足でした。自分が肯定されたような気になるんですね。

でもこんなことを続けていても、事態はなにも良くなりませんでした。友達もどんどん離れていきます。

 

結局は自分で解決するしかないのです。

 

現状を良くするためには、そのままの自分を受け止めて、自分に何が足りないのか、何が原因でこうなっているのか、しっかりと今を受け止めること。

まずはそこからです。

自分に足りないもの(劣等感)を優越性の追求(成長)へうまくつなげられた時、
本当の自分、本当の自信が生まれます。

劣等感を抱えながらも、自分の足りない部分を直視し、努力をし続けるのは勇気のいることですし、見たくない部分もあるでしょう。つい目をそらして逃げ出したくなる気持ちもわかります。

でも逃げている限り、永遠にその問題は解決しません。

 

最初に話した通り、劣等性と劣等感は別です。

劣等感を感じているのはあくまでも自分の脳みそであることをしっかり自覚し、今の自分が本当は別に劣等でもなんでもないという事実を見つけましょう。

 

この世に自分しか存在しなければ、劣等という概念すらないのですから。

 

すべての悩みは対人関係である。劣等感は、他者と自分を比べることで起こる悩みでした。

しかし本当に比べるべき相手は他者ではありません。

 

 

まとめると

悩みはすべて対人関係につながってるよーってこと。

劣等感という感情が、

・劣等コンプレックス

・優越コンプレックス

・不幸自慢

につながってるんだよーってこと。

でも、劣等感は誰でも持っている感情で、それ自体は別に悪いことじゃないんだよーってこと。

です。

人生は他者との競争ではない

これもねえ、かなり重要な部分です。

劣等感や優越性の欲求では、みな無意識にこの競争になっていることが多いです。

テストの点であったり、走る速さだったり、収入の高さだったり、容姿だったり、やっぱり人と比べてしまいますよね。これはいわば競争になっているんです。

 

でもアドラーは、劣等感や優越性の欲求を感じるのは普通で、別に悪いことじゃないって言ってたじゃないか!と思うかもしれません。

 

しかしアドラーの言うそれはちょっと違う視点です。

アドラーの言う優越性の欲求とは

上下に人がいるのではなく、同じ平らな平面に人がいて、その中で前を歩いている人がいたり、後ろに人がいたりする。

そういう概念をまず基本としています。この上下というのが、つまり競争という意味です。

そして、優越性の欲求というのは「自分自身の成長への欲求」。健全な劣等感とは、「理想の自分との比較から生まれるもの」であるとアドラーは言います。

他者と比較するのではなく、自分自身の理想と比較し、そして自分自身の成長を求めることこそが健全である。ということです。

 

みな同じ平面にいるということは、みな平等であるということを意味します。

成長のスピードは人それぞれ違うし、みな同じではないけれど、それは優劣があるということではなく平等である。

なので、誰とも競争する必要はなく、ただ自分自身と向き合って前を向いて歩いていくだけでよい。

私はすばらしい考えだと思いました。

 

確かにみな同じじゃないから、優れている部分も劣っている部分も当然ある。

だけど、それを気にする必要は全くなくて、ただ自分自身がどんな自分になりたいか。未来の理想の自分に向かって進むだけでいい。

今の自分よりも前に進もうとすることに価値がある。ほんとにそうだなと思います。

 

この他者との競争から解き放たれると、人生がほんとに生きやすくなります。人の目や、人の成功などを気にしなくてよくなるのですから。

人間の悩みがすべて対人関係であることからも、それがいかに楽であるか理解できると思います。

 

逆に、競争の中に生きていると、その人は対人関係の悩みから逃れられず、一生苦しむことになるでしょう。

競争の先には、必ず勝者と敗者がいるからです。

競争の中に身を置いている以上、たとえ成功したとしても、常に勝ち続けなければならない、負けたくないと心の休まる時なく、幸せを実感できなくなる人が多いです。

競争の世界では、自分以外はすべて敵になってしまいますから。。

 

しかし、この競争の概念を捨てて、みんなが平等であること、みんなそれぞれが自分の成長を目指してがんばっていると考えたらどうなるでしょう。

みんなが「自分の仲間」になる。

そうです。ほんとはみんな仲間だったんです。

それぞれが抱える問題に日々向き合いながら成長している。自分もみんなも同じなんです。

そう思うとなんだか心強く思えませんか?

 

できない自分、だめな自分を、できる自分、いい自分に変えていこうと、ときには励まし合ったり支え合ったりしながら、みんながそれぞれがんばっている。

人それぞれ得意なこと、苦手なことはちがいます。

気にせずにただ自分の理想に向かって歩いていけばいいのです。

他者を見るのではなく自分を見る。競争するのではなく仲間にする。

 

そうすれば、世界の見え方はまるで違ったものとなり、幸せを実感でき、対人関係の悩みも激減するでしょう。

 

また、注意するべき感情に「私が正しい」というものがあります。

 

この正しいという感情が、実は勝ち負けの競争を生み出してしまいます。自分が正しいということは、相手は間違っているということになり、どちらが正しいのかという論争になります。相手を屈服させて自分の正しさを証明したくなり、また自分の誤りを認めると負けを認めたような気になります。

心当たりのあるかたもいるのではないでしょうか。

なにを隠そう、わたしも心当たり大ありです。。

 

つい「自分は正しい」と思ってしまい、相手のどこが間違っているか、わたしはなぜ正しいのか、わかってもらいたくて必死に説明してしまう自分がいます。

これはほんと要注意です。別に正しさを相手にわからせる必要はないのです。自分が正しいと思っているなら、それだけでいいのです。

私はAが正しいと思っている。相手はBが正しいと思っている。

なら、そうなんだ~♪で終わればいいのです。相手まで無理やりAに変える必要はありません。

 

「相手を変えようとすること」これがあらゆるトラブルの元になります。。

ここ、がんばって意識しましょう。

 

私もつい相手の間違いを正したくなってしまうときがあります。そういうときは、はっと気づいて相手を非難したりしないようにしましょう。

なにが正解かなんて、状況によって変わることもたくさんあります。ほんとはAでもBでもなくCかもしれません。

自分はAだと思っていても全然かまわないですが、それを相手に押し付けてしまわないようにしましょう。

 

「私はこうでこうでこうだから、Aがいいと思ってるんだ~☆」おわり。です。

「これがいいからあなたもこうしたほうがいいよ!」とか「え、それっておかしくない?やめたほうがいいよ!」とか言ってしまうと、人によっては教えてくれて助かったー!ということもあるかもしれませんが、相手も正しいと思ってそうしていた場合、気分を悪くしてしまい、「いやいや!こうでこうだから私もこうしてるんだよ!」と争いに発展してしまう場合があります。

良かれと思って意見することもあるので、なかなか判断が難しいと思いますが、意見するなら、本気でそうしたほうが相手のためになると思うことくらいにしておきましょう。

私もあえて相手のために言うことがあります。その場合は、最悪嫌われたり離れていってしまっても仕方ないくらいの覚悟で言います。

 

ですが、基本的にはあまり口出ししないほうが円満にいくでしょう。特に自分でもそこまでよく考えてない場合とかは危険です。簡単に相手を否定したり非難したりしないように気を付けましょう。

課題の分離

これ、アドラー心理学の中でもトップクラスに重要な部分です。(まぁ重要なところだらけなんですが)

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされる。

この課題の分離がわかっていないせいでトラブルになると言っても過言ではありません。

 

たとえば、子供が全然勉強しなかったとします。親としては将来のためにもなんとか勉強させたいと思うかもしれません。しかしこのとき、がみがみと勉強しなさいと説教をすること。これは他者の課題に踏み込んでいることになります。

アドラー心理学では、「勉強」という課題が目の前にあったとき、「これは誰の課題なのか?」ということをまず考えます。誰の課題なのかを見分ける方法はただひとつ。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」ということです。

この例では、勉強をしなかった場合、将来苦労するのは子供自身ですよね。

 

ということは、これは子供の課題である。ということになります。

いやいや、子供のためを思って親は言うんでしょ?それの何が悪いの?と思われたでしょうか。

でもそれは本当に子供のためを思っているんでしょうか?

 

子供が将来失敗して苦労するのは自分だからではないですか?

勉強をすることが正しいという自分の思う正しさを子供に押し付けているだけではないですか?

何を言ってるんだ。そんなわけないでしょ!と怒ってしまうかもしれませんね。

 

では言い方を変えましょう。

 

子供はなぜ勉強をしないのでしょうか。子供なりの悩みがあったり、やる意味が理解できていなかったりおそらくいろいろな原因があるでしょう。

それについてきちんと理解を示していますか?

子供の気持ちを考えず、ただ勉強をしたほうがいいからと無理やりやらせることははたして本当に子供のことを思っていると言えるのでしょうか。

 

じゃあ何も言わずに放置しろって言うの!?と思われたかもしれませんが、それに対してはアドラーも推奨していません。

子供が勉強をしようがしなかろうが、なぜ勉強をしないのかも知ろうとしないということではなく、子供がなぜ勉強しないのか、きちんと知った上で見守る

これが大事なのだとアドラーは言います。

 

勉強をすることで、将来こうなるよ~♪勉強しなかったらこんなことになるかもよ~♪と、人生の先輩である立場から、今後どうなるかを情報として教えてあげるのはいいことです。(脅しはだめですが笑)

テストの成績によって選べる学校が変わってくること、選べる学校によって就職できる仕事も変わってくること、そういうことを教えた上で、それでも子供が勉強しないことを選ぶのなら、それは親としてしっかり見守ってあげましょう。ということです。

勉強しなかったことの結末を自分で受け止めさせる。

 

さらに、もし勉強したくなったときはいつでも応援するよ!もし将来その選択のせいで困ったときも応援するよ!と、子供がどんな選択をしたとしても常に応援者であることを伝えましょう。(甘やかしてなんでも援助しまくるのはまた違います。過剰に援助することもまた、子供の課題に踏み込んでいることになります。)

そうすると子供は安心して自分の思う道を進めますし、どんなに心強いことでしょう。

これが「愛」だと私は思います。

 

子供によい情報を与えてあげることはとてもいいことです。

しかし、その情報を知った上でどうするのかは子供次第である。ということは忘れないでほしいです。

自分の人生を自分で決めさせる。

自分の人生の舵を自分で取れるということは、つまり自由であるということ。

 

 

私自身、ずっと自分の人生の舵を握っている感覚がありませんでした。みんながそうしているから、そうしていました。

自分の人生がどこへ向かっているのかも全く考えずに、みんなと同じような舵を取り、そうして行きついた場所は、辛いことばかりの全く自分が心地よくない場所でした。

それは、自分の行きたい方向に舵をきっていなかったからです。自分の人生の舵をきるという感覚がわかったのはほんとにここ数年です。

 

世間体や親の意見ばかり気にして、自分で選ぶ、自分で選んでいいんだということを知らなかったばかりにとんでもないところに行きついてしまった私だからこそ、子供には自分の思うように人生を選択していけるよう、子供の自由を奪ってしまわないよう、しっかりと課題の分離を理解し、子供のよき先輩、よき応援者になりたい。そう思いました。(まぁ、まだ子供いないですが)

 

この課題の分離は子供に対してだけではなく、すべての他者に対して共通します。

相手の課題の領域に踏み込めば踏み込むほど、自分も同じように相手の課題を背負ってしまうことになり、人生がとても重く、複雑になっていきます。

この課題の分離ができれば、ここから先は相手の領域(課題)だな。とそこで立ち止まることができるので、土足で踏み込んでケンカになることもなくなるし、余分な課題を背負い込むこともなくなり、人生がよりシンプルに、生きやすくなっていきます。

 

私たちそれぞれができることは「自分の信じる最善の道を選んでいくこと」ただそれだけです。

この自分の信じた道に対して、他者がどのような評価を下すのか。それは他者の課題であって、自分にはどうすることもできない領域なのです。

ここもすごく重要です。

つい嫌われたくないと、相手に自分の良さを説得しようとしてしまったり、嫌われないような行動を取ってしまいがちですよね。

 

アドラー心理学では、相手がどう思うかという部分は、相手の課題であると考えます。つまり、こちらが踏み込むべき領域ではないのです。

自分がどんなにいいことをしていても、必ずそれを良く思わない人もでてきます。なのに全員にいい顏をしようと思ったら大変ですね。相手が自分をどう思うかについては一切考える必要はありません。といっても気になってしまうのが人間の性でもありますが。。私もまだ気になってしまいます。(修業が足りませんね。。)

 

結局はみんな「いい人」になりたいと思うのです。

その「いい人」とは、相手にとっての「いい人」なのではなく、自分が思う「いい人」でいい。ということです。自分が思ういい人にどんどんなっていけばいいんです。好かれようとして自分を偽る必要もないし、嫌われたからといって落ち込む必要もありません。自分なりのいい選択をした結果なのですから。

自分が思う最善の選択をしたのなら、そのあとの結果は天にまかせてしまいましょう。

 

大事なのは良き人間であろうとする気持ちです。

これがアドラー心理学の最終目標でもあるのですが。。

この話はまた後で話しますね。

対人関係のゴールは「共同体感覚」

これまで、

人の行動にはすべて、目的があるということ。

自分の性格はすべて、自分が選び取ったものであるということ。

人の悩みはすべて、対人関係によるものであるということ。

他者と競争しないこと、課題の分離をすることで、その悩みは激減するということ。

ついて主にお話ししてきました。

しかしこれらだけだと結局、「自分は自分、人は人。」ということになり、それがただ明確に定義されただけです。でもアドラー心理学はそれだけでは終わりません。

これらの定義にはがあるのです。それがまさに「幸せになるための道」です。アドラーは、幸せになるためにはどうすればいいかというところにまで踏み込んでいるのです。

では、そのゴールである共同体感覚について説明していきます。

 

他者を仲間だと見なし、そこに自分の居場所があると感じられることを「共同体感覚」といいます。

「仲間」については前回お話ししましたね。他者を競争相手として見るのではなく、同じ平面を共に歩いている仲間なのだと考えることです。

「自分の居場所がある」というのは、自分はこの共同体に対して役に立っているという気持ち(貢献感)から、自分の価値を実感できている状態のことを言います。

 

共同体というのは、家族、学校、職場だけにとどまらず、宇宙全体(無限大)までも指します。

宇宙というとよくわからないかもしれませんが、もっともっと大きな視野で考えよう。ということです。家族や学校や職場という小さな枠組みの中で、自分の居場所が感じられなかったとしても、気にしなくて大丈夫。もっと大きな視点で見れば、必ず所属感(共同体感覚)は感じられる。という意味です。

共同体=「社会」くらいの意味で思っておいたほうがわかりやすいかもですね。

自分は同じ平面を歩いている仲間の一人であり、なおかつ自分は社会の役に立っているという感覚が、共同体感覚です。そしてこの共同体感覚こそが「幸せ」であるとしています。

役に立っているかどうかは、人からの感謝の言葉があるかどうかで知ることができます。

人に喜ばれることで、自分は役に立っていることを知り、自分には価値があるんだと思えるようになるのです。

そう。

自分に価値を見出すためには、人の役に立つことが必要なのです。

 

 

ただし、人の役に立つ行動をするのは、人のためではなく自分のためにするのだということを覚えておいてください。人が喜ぶようなことをするのですが、人を喜ばせるためにやるのではないということです。

あくまでも自分が貢献感を得るため、自分に価値を見出すためにやるのです。その貢献感が自分を幸せにします。

 

なので自分に自信がなかったり、私なんて・・と思ってしまう方は、人のためになにかをしてみましょう。

募金をしてみるのもいいし、家族のために掃除をがんばってもいいし、誰かに感謝を込めてプレゼントをしてもいいし、店員さんに「ありがとう」と言葉をかけるのもいいでしょう。

必ず喜んでもらえて感謝されるとは限りませんが、人のための行動を続けていれば、きっと感謝されることがあると思います。

 

感謝されるととってもうれしい気持ちになるし、ああ。やってよかったなぁと思うと思います。

これが繰り返されることで、貢献感が生まれ、私も人の役に立てるんだ~♪と自分に自信が持てるようになります。

 

アドラーは、

「自分の居場所がある」という所属感は、生まれながらにして与えられるものではなく、自分の手で獲得していくものである。

と話しています。

人のためになんの行動もしないのなら、そこに自分の存在価値がなくなるのも当然であるということです。

 

なかなか厳しい言葉かもしれませんが、その通りだなと思いました。赤ちゃんの時は、何もしなくてもちやほやされますが、大人になってもそれを望んでいてはだめです。

幸せになりたかったら、自分から行動し、自ら自分の価値を見出さなくてはいけない。

心にガツンと響きました。

 

また、この「人のために行動する」という部分。

これまでの内容をすべて理解していればわかると思いますが、人のためと言いつつ相手の課題にまで踏み込んでいたり・・人のためにと行動しているが実は人の顔色をうかがって好かれるために行動していたり・・というのは間違っていることはわかりますね?

これまでの定義はすべて満たしつつ。というのが大前提です。

人がどう思うかは気にしなくていいけれど、人の役に立つだろうと思うことはやらなければならない。(幸せになりたいのなら)そしてやるときは人の課題に踏み込まないように気を付ける。

ということです。

 

じゃあとりあえず、人がどう思うか関係なく自分がやりたいことをやりたいようにやればいいってことでしょ?と思うかもしれませんが・・

うむ。。

そうなんですが、ちょっと注意しなくてはいけないのが、ただ自分がやりたいからって、人のことを考えずにやってもいけないということです。

わかりやすく言うと、迷惑行為などですね。やりたいことではなく、役に立つことである点に気を付けてください。そうしないとただの自己中になってしまいますから。。

役に立つと思うのなら、やりたいことをなんでもやってかまいません。(それによって嫌われることを恐れる必要はないです)

 

「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではなく、

「わたし」は人生の主人公でありながら、

あくまでも共同体の一員であり、全体の一部である

とアドラーは言います。

 

また、アドラー心理学では、「自立すること」「社会と調和して暮らせること」を行動目標として掲げています。これができる大人にならなければいけないよー。ということです。

そしてこの行動をするためには「わたしには能力がある」「人々はわたしの仲間である」という意識が必要だとしています。

これまでのおさらいのような目標ですね。

まずは自分についてしっかり理解する。続いて、一対一の対人関係を考える。そのあとで、ようやく共同体の一部としての自分が見えてきて、最後に貢献による幸福が得られる。

という順番です。

これまでのことがすべて理解できてはじめて、本当の幸せがわかる。という感じですね。

 

でも人の幸せって別に貢献感だけじゃなくない?と思われたでしょうか

たしかに、お金持ちで、なんでも好きなものが買えたりやりたいことがなんでもできることも幸せに感じるかもしれませんが、果たしてそれ「だけ」で幸せなのでしょうか。

たとえお金があっても、周りの人との関わりがなく、いつもひとりだったら・・?

なんか悲しいですよね。

それだとただの自己満足になるのではないでしょうか。

 

あなたが幸せを感じる時はどんな時ですか?

「ここにいてもいいんだ」という所属感を感じられる時がなにより幸せではなかったですか?

 

うーん。。と頭を抱えてしまうかもしれませんが。

 

大丈夫です。

アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるためには、それまで生きてきた年数の半分が必要だと言われています。。

 

!!!

 

もし30歳のときにアドラーを知ったのなら、半分の15歳を足して、45歳までかかる。もし40歳のときにアドラーを知ったのなら、60歳までかかるということです。

これまで生きてきた年月が長いほど、そのライフスタイルが染みついていますから、その価値観を修正していくのには長い年月がかかります。。

なかなか果てしないテーマではありますが、このアドラー心理学を理解し、実践していくことで、必ず本当の幸せがわかり、実感できることと思います。

 

私もまだまだ時間がかかると思いますが、この「嫌われる勇気」を人生のバイブルとして、何度も読み返しながら、自分の人生の航海を楽しみたいと思っています。

そして、その航海の道しるべとして、アドラーが用意してくれたものがあります。

 

その名も「導きの星」!!

 

なんて壮大な名前をつけたんだアドラー!と思いましたが、アドラーは、人々が行動するときに迷わないように、この「導きの星」という目印を定義しました。

「導きの星」とは

他者に貢献するのだ。という気持ちです。

これさえ見失わなければ迷うことはないし、何をしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。としました。

 

ふむ。なるほど!シンプルだ。

 

ということで、

長くなりましたが。。

おさらい

  • 他者貢献をすることで得られる共同体感覚こそが「幸せ」である
  • 「自由」になるためには、嫌われることを恐れてはいけない。(嫌われる勇気)
  • 自立し、社会と協調できる大人になろう。

 

この3つが私が思うアドラー心理学の柱です。

続編の「幸せになる勇気」は、この実践編のような感じです。「嫌われる勇気」はその概要編といったところでしょうか。

特に最後の部分はなかなか理解するのが難しいと思いますので、ぜひ実際に「嫌われる勇気」を読んでみることをおすすめします。(まとめるの超むずかしかった・・)

何度も訂正しながらなんとかまとめてみましたが、私の手腕ではこれが限界だったので、あとは原本に丸投げです。。

 

余談ですが、この「嫌われる勇気」は超ネガティブな青年と、アドラー心理学を熟知した哲人の対話形式で書かれているのですが、この青年の発言がめちゃくちゃ面白いです。

そこまでボロカスに言うか!というような数々の名言がありますので、そちらも実際の本で読むときに楽しみにしていただけたらなと思います。

それではこのへんで!

またーノシ

 

 

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