超おすすめ本『100%幸せな1%の人々』を徹底解剖してみた

「100%幸せな1%の人々」とは、思いを持たず、今、恵まれていることに気づいて、感謝をしている人々です。

今回は小林正観さん著書『100%幸せな1%の人々』から気づかされた数々の名言を紹介していきたいと思います。


この本は、私にとって『嫌われる勇気』と共に人生のバイブルとして大切に持っている本です。

『嫌われる勇気』については以下の記事を参照ください。

アドラー心理学を世に広めた名著『嫌われる勇気』を徹底解剖してみた

どうも、キャナナ(@kyanana1777)です。

小林正観さんは幸せな生き方について独自の思想を持っておられるので、見る方によっては少し宗教っぽいと感じる方もいるかもしれません。

一方、アドラー心理学はとても論理的で、「なるほど。」と納得しやすいのですが、この正観さんの言葉は逆に確証のとれないものが多いです。「え~?ほんとに~?」と思いつつも、「でももしかしたらそうなのかも。」「もしそうだったらちょっとおもしろいな。」と思えるような内容なので、疑いながらも楽しんで読んでもらえたらいいなと思います。
私としては正観さんはすばらしい人だから崇拝しましょう!とか、この本の通りにやれば幸せになれますよ!とかそんなことを言うつもりはさらさらなく、「そんな考え方もあるのだなぁ」くらいにやんわりとらえていただいて、自分の人生にちょっとした気づきを持ってもらえるとうれしいです。

宇宙には、幸も不幸も、そういう現象は存在しない

感情というものは個人が所有するものです。

例えば
野球の阪神VS巨人戦で、たまたま阪神が勝ったとします。
阪神ファンは大喜びするでしょうし
巨人ファンはめっちゃ悔しがるでしょうし
そもそも私のように野球に興味がない人はどっちが勝とうとどうでもいい。と思うでしょう。

ただ「阪神のほうが得点を多く取った」という現象があるだけで、そこには何も意味はありません。
その現象に対してうれしいとか悔しいとかの感情を作り出しているのは自分ですね。
感情とは感じた人にのみ発生するものなのです。

このうれしいとか悔しいとかの感情と、自分は幸せだとか不幸だとかいう感情は実は同じ理屈です。

人生にはもともと幸せも不幸もなく、ただただいろんな現象が起きているだけなのに、自分で勝手に人生に意味づけをして、「私はなんて不幸なんだ」とか思ってしまっている。ということですね。

ここに幸せな人生を送るためのヒントが隠されています。

「幸せ」はどこかに行けば手に入るものではありません。
今この瞬間に、自分に起きたことやこれから起こることは「すべて自分が成長するために必要だった」と受け入れさえすれば手に入るものなのです。

つまり、何が起きようとそこに意味などないのだから、「私は不幸だ」なんて勝手に決めつけず、「身の回りに起きたことはすべて私にとって必要なことである」と考えることで、すべてが自分にとって良いこと・良かったことに変えられるよ。ということです。

 

どうせ現象が起こることは変えられないのなら、自分にとって良いように解釈したいですよね。

 

また、現象を悪くとらえることの弊害は、「なんで私だけ」「どうせ私なんて」とどんどん卑屈になっていくことです。
実は悪いことが起こったから不幸になっていくのではなく、自分でそれを悪くとらえることによって卑屈になっていくから、さらに悪いことを引き寄せてどんどん不幸になっていくという悪循環に陥るのです。

いじけてて卑屈で被害者意識満載で不平不満ばかり言うような人とは誰も付き合いたくないですよね。

 

逆に、人から見ても辛そうな現象が起きたとしても、決して悲観せず目の前の自分にできる最善のことを前向きに一生懸命がんばっている姿はどうでしょうか。
なんて強い人なんだとつい応援したくなりませんか?

現象の最初の受け止め方さえ、きっとこれは必要なことだったんだとプラスに受け取るだけで、その後の人生もきっとプラスの好循環になるんじゃないかなと私は思います。

今ある幸せに感謝する

幸せになるには、ただ今ある幸せに気づくだけでいい。

幸せが足りないと感じる人は、今ある幸せを認識する力が身についていないだけ。

例えば
目が見えない人には、目が見えるだけでありがたい。
食料がなくて困っている人には、食べられるだけでありがたい。
重い病で動けない人には、健康であるだけでありがたい。

今自分が普通にできていること、当たり前にしていることが、ある人にとってはとっても幸せなことです。

 

今、目が見えていること、食べていること、健康であることに感謝したことはありますか?
こんな当たり前過ぎてなんとも思っていなかったことにも感謝できれば、なんともない日常も幸せに満ちた生活に思えるかもしれません。

なにも、目が見えてるんだからそれ以上のことは望むなとかそこまで言っているのではなく、ないものねだりばかりして幸せを求めるだけではなく、今持っている幸せにも気づいてみましょう。ということです。

 

「私に幸せをください」と念じたときに、神様は病気や災難やトラブルに誘うのかもしれない。
それは決していじわるをしているからではなくて、あたりまえの生活がどれだけ幸せなことだったのかを認識することができるよう。

 

これはなかなか面白い考えです。
「失ってはじめて気づく」とよく言われますが、当たり前の中で生活していると、いくら今持っている幸せに気づけと言われてもピンとこないと思います。
なので神様は、「幸せをください」と傲慢な人には、困った現象を与えることで、「ほら、どれだけ幸せだったかわかった?」と強行手段で気づかせてくれるのかもしれませんね。ちょっと手荒いですが笑

100%幸せな1%の人々とは

この本のタイトルにもなっていますが、この1%の人々とはどんな人なのでしょうか?

病気やトラブルに見舞われることがなくても、いつでも幸せを認識できる人が、世の中には1%存在します。
それは「すべてを受け入れる」ことをしている人です。

「すべて受け入れる」とは、起きた現象にあらがうことなく、どんなことも「おかげさまで成長できました」と感謝しながら受け止め、ささいなことや当たり前の日常にも幸せを感じることです。

 

ここまでの領域にはなかなか行けそうにありませんが、そういう人は1%いるということですね。

 

幸せを感じられない人は、起こった出来事を否定して受け止めていないことが多いです。
「そんなはずない」「なんで私が」などと認めようとしないんですね。
そしてそこから目をそらして他のことをしたり、怒りを他にぶつけて受け入れようとしなかったり。

案外、素直に認めて受け入れたほうが実は楽に生きられるのかもしれませんね。
もう起こってしまった現象は変えられないですから。
と、いってもそんなに簡単に聞き入れられないかもしれませんが・・

このすべてを受け入れて幸せを認識する能力さえ身に付けることができれば、
「常に幸せを感じることができる1%の人々」の仲間入りを果たすことができる
と正観さんは言っています。

この本ではこの1%の人々になるための59の法則を解説しています。

執着やこだわりから解き放たれた人のことを「ほとけ」と呼ぶ

「仏(ほとけ)」という言葉の語源は「ほどけた」「ほどける」から来ていて、自分を縛るもの(=執着)から解き放たれた人のことを言うのだそうです。

多くの人は、自分以外の人をいかに自分の思い通りにするかということに悩んでいます。

例えば
「子供が全然言うことを聞いてくれません。どうしよう?」
「夫が毎日飲み歩いて深夜にしか帰ってきません。どうしよう?」
これはつまり、子供を思い通りに聞くようにしたい、夫を思い通りにすぐ帰るようにしたい。ということです。
自分の思い通りにならないことに悩んでいるのですね。

この「思い通りにしたい」というのは執着です。
「どうしてもあれが欲しい」「絶対こうなって欲しい」「必ずこうしたい」などと強く思うことは、同時に「こうじゃなきゃ嫌だ」とその結果に固執していることになります。
自分の求める結果に執着しすぎると、それがもし叶わないとどうして思い通りにならないんだと勝手な悩みが増えるだけであまりいいことはないかもしれません。

「ならなくてもいいけど、なったらいいな」と考えると、不思議な力が助けてくれる

 

「どうしてもこうなって欲しい!」と強く願いを押し付けるのではなく、「ならなくても仕方ないけど、そうなったらうれしいな~」くらいで止めておくと、「じゃあそうしてあげようかなー」という力が働くのだとか。

不思議な力ってなんだよーって感じかもしれませんが、なんとなく気持ちはわかるというか、一方的に願いを押し付けてこられるとたしかにちょっと重いというか嫌な感じはしますよね。笑
それよりもちょっと謙虚に「あ、別にいいんですけどね!ほんと!」みたいな人のほうが、こちらも「いいよいいよ!やってあげるよ!」みたいな気になります。

 

先ほどの例の子供や夫に対しても、自分の思い通りにならないことにぶーぶー言わずに、「今日は美味しいご飯作るから早く帰ってきてくれるとうれしいな~。あ、仕事が忙しかったら別にいいんだけどね!^^」みたいな感じのほうが、旦那さんも「今日は早く帰るか。」となるかもしれませんね。

5万回「ありがとう」と言うとうれしい奇跡が起き始める

またまたほんとかよ~ってお話しですが、心をこめなくてもいいのでありがとうを毎日何百回も言っていると
病気の治りが早くなったりするらしいです。
これを「ありがとうの不思議」と正観さんは呼んでます。

これは私も実践していないのですが、もしほんとだったら面白いな~と思うので紹介。

「ありがとう」を心をこめなくてもいいから2万5000回言うと、なぜか涙があふれ出てくる。
その涙が出た後で、再び「ありがとう」を言おうとすると心の底から感謝の念が湧いてくる。
気持ちを込めてさらに「ありがとう」を2万5000回言うと、突然自分にとってうれしく楽しく幸せな奇跡が起き始める。

とのことです。

本で紹介されていた事例では、末期がんを宣告された女性が、この話を聞いて、どうせ他に手の打ちようがないのならやってみようとのことで1日1000回ありがとうと言うことを100日間(合計10万回)続けようと決意。

30日ほど経って「ありがとう」を3万回くらい言い終わったところで、自分の足で歩けるように。

2ヶ月経って「ありがとう」を6万回言ってるうちに、顔色がよくなりましたねと言われるように。

3ヶ月が経ち「ありがとう」が9万回を超えると、体重が増えて顔もふっくらしてきた。

合計10万回言い終わったところでもう一度病院の検査に行くと・・

 

なんと「がん細胞が全身から全て消えていた」そうです。

※信じるか信じないかはあなた次第です笑

人は迷惑をかけずには生きられない

人に迷惑をかけたくないと意気込むより、迷惑をかけながらでしか生きられないと思い、まわりのすべてに感謝する。

これは私がとても好きな言葉です。

つい人に迷惑をかけないようにと気をつかってしまいがちですが、実際誰にも迷惑をかけずに生きるなんて無理ですよね。迷惑というのはお世話をかけるということです。

たとえば
介護を受けなければ生活できない状態になってしまうかもしれないし
ごはんを食べるにしても食材1つ1つがいろんな人の手を渡って今ここにあるし
子供のときは世話をしてもらわないと生きていけませんでした。

たとえそれが仕事であったとしても、人は人の世話をして世話をしてもらいながら、お互いに迷惑をかけ合いながら生きています。

なので、世話をかけまいと無理して自力でがんばることよりも、「いつもご迷惑をおかけしております。ありがとうございます」と謙虚な心で、まわりのすべての人に感謝をすることの方がよっぽど気がラクで心も満たされると思うのです。

 

私は子供の頃からなんでも一人で考えて行動して解決するようなタイプだったので、人に助けを求めたり頼るということができない性格でした。
人に迷惑をかけてはいけないという思いと、自分一人でなんでもできるもん!という自負もあったと思います。

しかし、正観さんのこの言葉を読んでハッとしました。
「私はなんて傲慢で、無駄な努力をしてきたんだろう」と。

 

困ったときは「助けてください」
つらいときは「つらいです」
わからないときは「教えてください」

実はこうして頼られるほうも意外とうれしかったりするんですよね。

なのに私は、すべて自分で調べて考えて解決しようとがんばっていました。

たしかに全面的に人に頼り過ぎるのも考えものですが、本当に困ったときは素直に助けを求めればいいのです。

そして、助けてもらったら、心から感謝し、お礼を言えばそれだけでいいんですよ。

そんな簡単で当たり前でとっても大事なことをこの言葉から教えてもらいました。

無敵とは敵が無いこと

戦わないで、争わないでいると、敵がいなくなって「無敵」になる

無敵という言葉を聞くと、戦いに勝って勝って勝ち続けて、そして最強になった状態のことをイメージしがちですが、本当の「無敵」とは、敵がいないこと。
つまり、敵を作らないことこそが「無敵」なのだと正観さんは言います。

これはわたし自身かなり目からウロコでした。
「なるほどーー!!」です。

今の時代、競争をさせないゆとり世代も登場していますが、つい人は勝ちたいと思ってしまい競争に足を踏み入れてしまいがちです。
しかし一度競争をはじめてしまうと最後、自分より優れている人なんて山ほどいますから、勝っても勝っても戦い続けなくてはならなくなります

 

それならそもそも最初から勝負を挑まなければいい。

最初から敵なんて作らなければ、そもそも「無敵」なんだよ。とは、なんと平和で的を得ているんでしょう。

 

勝負を挑むのではなく、お互いを認め、共に励むと、その相手は敵ではなく「仲間」になります。

「許す」の語源は緩ます

神経を緩ませていない人は、人を許せない人である。

たしかに、イライラしている時は神経がピーンと張りつめますよね。
「キレる」という言葉が昔流行りましたが、これも怒り過ぎてプツンと神経がキレるという意味ですね。

 

イライラしているということは、その人や現象などを許していない証拠です。

 

「なんでそんなことを言われなきゃいけないんだ」「何時間待たせば気が済むんだ」など。
その人の言動や、起きたことを受け入れられないからイライラするのです。

そんなイライラして神経をピーンと張り巡らせているときは、試しに深呼吸でもして神経をゆるめるイメージをしてみてください。
なんだか心が落ち着くのが感じられるのではないかと思います。

自分で自分を許すことができたら、他人をも許すことができる

 

自分に厳しい人は、必ず他人にも同レベルで厳しい

これは私は耳が痛い話なのですが、働いていた頃は自分にとても厳しく、常に完璧を求めていました。

自分でただがんばっているだけなら、まわりもそこまで迷惑ではないですが、やはりこういう時は無意識に他人にも同じレベルを求めてしまっているんですよね。

「あの人はなにをのんびりと作業をしているんだ。私はその倍はやっているのに!」
「あの人はなんて効率の悪いやり方をしているんだ。私なら絶対こうするわ!」

とかしょっちゅうイライラしてましたね笑

自分はデキる女みたいに思ってたんでしょうね!最悪です笑

 

自分を許すということは「いいかげんな人」になること

 

いいかげんな人と聞くと悪いイメージを持つかもしれませんが、実はイライラしてる人よりもよっぽどいいんですよね。

真面目に働くことはいいことだと思いますが、私のように度が過ぎるとほんと迷惑です笑
(当時一緒に働いていた方、すみませんでした・・w)

 

自分にいいかげんでいることを許せる人は、他人に対しても基準が低いのでたいていのことは許せるんですよね。
するとまわりの人も自分のペースで仕事ができるし気も楽なわけです。

まぁみんながみんなのんびりだと会社も困るかもしれないので、上の立場の人はある程度お尻を叩く必要も出てくるかもしれませんが。

神経をゆるませ、自分を許し、人も許せる心のおだやかな人になりたいものです。

今もがんばりすぎてつい肩に力が入り過ぎた時は、意識して深呼吸をするようにしています。

頼まれごとの人生を生きる

これはちょっと正観節がはいってます。

人間の生きる目的とは「頼まれごと」の人生を送ること。すなわち人に喜ばれる存在になること。

人間の生きる目的を言い切ってしまっていますが(笑)なかなか面白いお話です。

 

まず
「不平不満、グチ、泣き言、悪口、文句」を一切口にしない生活を3ヶ月~6ヶ月続けると、「頼まれごと」が始まるそうです。

そして
頼まれたことは基本的に全部引き受けていきます。

これをずーーっと続けていくと、だんだん同じようなことばかり頼まれるようになり「私はこれをやるために生まれてきたのかな?」と自分がある方向に向かって使われていることに気づくときがくるそうです。
=使われる命(使命)

 

ほーー。なるほどーー。という感じです笑
私も実践していないので真相は定かではありませんw

 

要は
不平不満を言わないことで、まずは人から頼まれやすくするということですね。
そしてさらに文句を言わずにすべて引き受ける。
自分の意志を無視してなんでも引き受けるというのはなかなか辛そうですねー。
たぶん面倒なことでしょうからね笑

でもそれを淡々とこなしていくと、人生の大きな道筋に導かれて自分の使命に気づける。というなんとも壮大なお話です。

使命とは果たして本当に「人から使われる(頼みごとをされる)命」のことなのでしょうか。

※信じるか信じないかはあなた次第です!

 

しかし
人の頼みごとを聞くということは、その人の助けになっているということなので、「人に喜ばれる存在になる」というのはそうなんだろうなと思います。

なんでもやってくれる都合のいい人になってしまわないかが気になりますが笑

それも含めて頼みごとを聞いた方がいいということなのでしょうね。

 

自分はどんな使命を持って生まれてきたんだろうか。とちょっと壮大なことを考えたくなるお話でした。

 

 

幸せを味わうには不幸が必要?

「おいしい」という「幸せ」を味わうためには、どうやら「空腹だ」という「不幸」を味わわねばならない、というのが宇宙の構造のようです。

これはとても共感しました。

お腹が減って減ってどうしようもないときのごはんは、毎日テレビでも見ながら当たり前のように食べているごはんと同じものでも全然おいしさは違うと思います。

第1話でも当たり前のことを幸せに感じる重要性についてお話ししましたが、それとつながるものがありますね。

不幸な状態を知ってはじめて、それが幸せなことであったとわかるのでしょう。

 

さらにそれは
空腹であればあるほどおいしく感じるそうです。

そう考えると、自分に起きた不幸なことも、より幸せを感じるためのものであるととらえることもできますよね。

この「空腹とおいしい」「幸と不幸」は常にワンセットであり、両者があるからこそ互いの心がわかるようになっています。

暑い夏があるからこそ秋の涼しさに幸せを感じ
寒い冬があるからこそ春の温かさに幸せを感じられる

幸せを感じられるのは、不幸も知っているからなんですよね

 

わたしは社会に出て働き出してから、毎日必死にがんばってへとへとになっていました。
今は結婚して専業主婦になったことで、働いていた頃には想像もつかなかったような、のんびりとした穏やかな生活ができていて、それだけで毎日が本当に幸せです。

これが最初から社会に出ず、すぐに結婚して家庭にはいっていたら、毎日退屈だとかしか思わないのかもしれません。

わたしは毎日朝から晩まで気を回しながら忙しく働くことの大変さを身をもって痛感したことで、何でもない毎日がとってもありがたく幸せで、こんな生活をさせてくれている旦那に感謝の気持ちでいっぱいです。

当時は仕事を辞めたくて辞めたくて仕方ないくらい辛かったのですが、こうして今振り返ると、傲慢な自分に気づかせてくれたり、ゆっくりと日々を過ごすことのありがたさに気づけたので、きっとわたしにとって必要な経験だったのだなぁと思います。

不幸は幸せになるためにある

と思えば、また違った景色が見えるかもしれませんね。

自分の正義が宇宙の正義とは限らない

私たちが「正義」だと思っていることが宇宙的な「正義」だとはかぎらない

宇宙とか正義とかなんだかアニメのようですが、これもハッとした気づきがありました。

人が怒ったりイライラしたりするときは、多くの場合、「自分の側に正義がある(自分が正しい)」という思いがあります。

自分の意見が正しいはずなのに、相手が違う意見を言う。つまり相手は「間違っている」という自負があるから、強気に怒ったり指摘をして相手を正そうとするんですね。

でもそれって本当に100%あなたが正しいと言えますか?

ということです。

 

物事が正しいか間違っているかなんて、見方を変えれば簡単に逆転してしまうものです。

 

しかし、わたしもよくこの正しさの権力を振りかざしてしまいます。。

わたしは昔からいろいろと深く考えるクセがあって、何事もいろんな角度から分析をして、あーだこーだと頭の中でこねくり回してからいつも結論を出します。

そうして考えに考えた末に出た結論は、わたしにとってはもうそれは完璧な答えなわけです。
「これだけ考えてたどり着いた答えなんだから、絶対正しいに決まってる
という思い込みですね。

 

この考え方は(自分で言うのもなんですが)なかなか厄介です笑

この考えを持っていると、つまり自分と違う意見の人はすべて間違っているということになるんです。

危険ですね笑

まるで独裁者です。

 

無意識にこの正しさの権力を振りかざしている人、結構多いんじゃないでしょうか。

物事をじっくりとよく考えることは悪いことではないんですが、そこに確信を持ってしまってはいけません。

 

わたしもここはよく注意しているところで、自分がいくら考え尽くしても到達できない見方というものも存在するんですよね。

この余白だけは常に残しておいてほしいです。

自分は考えつくしてこうだと思ったけれど、もしかしたらまだ気づいていない他の考え方もあるのかもしれないな。という余白です。

この余白があることで、柔軟に相手の意見にも対応することができますから。

また
もし本当に相手が間違ったことをしていたとしても、あなたはそれを裁く必要はありません。

ここも要注意ポイントです。

個人の正義感というもので人を裁くべきではない。宇宙的な反正義の行動をしたのなら、それに見合った結果が返ってくるはずです。

 

今回は詳しくとりあげませんでしたが、宇宙には「投げかけたものが返ってくる」という法則があります。
この法則については正観さんだけでなく、いろんな人が言っている法則ですね。

許す者は許される。許さない者は許されない。
愛すれば愛される。愛さなければ愛されない。
感謝すれば感謝される。感謝しなければ感謝されない。
憎めば憎まれる。憎まなければ憎まれない。

これは同じ相手にという話ではなく、誰かを許せば、違う人から自分も許される経験をするという意味です。

この法則にしたがうとすると
反正義なことを自分がしたのなら、また違う形で反正義な結果を受け取るので、宇宙の法則とは自己完結の世界であり、わざわざ他人が間違いを正そうとしたり、罰を与えようとしなくても、ちゃんと自分に返ってくるようになっているから大丈夫ですよー。ということですね。

 

この法則は覚えておいて損はないです。

悪いことをしたら悪いことが返ってくるよ~という意味でもありますが、逆に欲しいものがあれば自分から与えることで手に入るよ~という意味でもあるんです。

たとえば
「愛されたい」と思うのなら、愛が欲しい愛が欲しい!と求めるのではなく、逆に自分が誰かに愛を与えるのです。

これは「愛すれば愛される」という法則を利用しています。

まずは自分から愛さなくては手に入らないよ~ということです。

 

なかなか奥が深いですね。

 

ちょっと話がわき道にそれましたが・・
自分が正しいと思っていることが100%正しいとは限らない。常に余白を残しておくこと。
たとえ相手が本当に間違っていたとしても、あなたはそれを裁く必要はない。
宇宙の法則で勝手に裁かれるので放っておきましょう!

ということです☆

 

これはわたし自身への戒めにもなっています。

つい自分の正しさを証明したくなってしまいますが、そうすると相手と意見争うことになるのでよくありません。

前回話したように、敵を作らないのが無敵でしたよね。

 

人を認め、受け入れ、自分のことも許す。

いつも神経をゆるませて穏やかな心で、日々の当たり前に感謝する。

辛いことがあったとしても、それは自分にとってきっと必要なことであり、辛いことがあるおかげで何が幸せかを知ることができる。

毎日をそんな風に過ごせたら、きっと毎日が幸せに感じられることでしょう。

 

ということで

かなりの長文になってしまいましたが
「100%幸せな1%の人々」の解説を終わります☆

お読みいただきありがとうございました。

書籍にはこの他にもたくさんの素敵な言葉が詰まっていますので、ぜひ読んでみてくださいねー!

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。