生きている意味があるんじゃなくて、生まれてきた理由がある

どうも、キャナナです。

「わたしはなんで生まれて来たんだろう?」

「わたしが生きていることにどんな意味があるんだろう?」

とか、ふと考えたこととかないですか?

 

わたしはこういう哲学的なことをいろいろと考えるのが好きで、よくそういう本を読んだりもしています。

 

わたしの場合

別に自分の人生を悲観しているとかではなく、ただの好奇心というか、人間には到底わからないような大きな力が働いているんだろうなみたいな笑

そういうの想像するとなんかワクワクするんですよね。

あ、宗教とかにはなにも入ってないですよ笑

 

それでいろいろな本を読んでいる中で、その内容を総合していくと、今回の話のテーマである「生きている意味があるんじゃなくて、理由があるらしい」ということになるんじゃないかなと思ったので、それについてお話ししていこうかなと思います。

 

生きている「意味」というのは周りによって決まるもの

 

まず
「自分が生きている意味ってなんだろう?」と考えることは、つまりは「自分には生きている価値があるんだろうか?」と考えているのとほぼ同じなんですよね。

意味とか価値というのは、周りがあってこそ発生するもので、この世に自分ひとりしか存在しなければどのくらいの価値があるのかとかわからないですよね。価値は比べる対象がなければはかることができませんから。

頭のいい人、スポーツのうまい人、話が面白い人、優しい人、それぞれできない人よりも価値がある感じがしますよね。人よりも才能があったり、上手にできるから、それを仕事にできる。

そうして自分の価値を発揮して、いろんな人に必要とされたり、感謝されたりすることで、「あぁ。わたしが生きている意味ってこれなのかもしれない」とか思ったりするわけです。

つまりは
まわりに自分の居場所だと思える場所があるかどうかで、生きている意味を見いだせるかどうかが決まると考えていいでしょう。

 

でも、この考え方って危険なんですよね。

だって自分に価値が見いだせなければ、生きている意味がないように感じてしまうんですから。

 

何をするにも上には上がいるし、周りとの比較で勝とうとすると、必ず負け続ける人も出てきます。

じゃあ負けた人には価値がないのか、生きている意味はないのかというと、全くそんなことはないわけです。

だけど

自分の存在価値を周りと比較することで得ようとすると、そういう思考回路に陥ってしまうのです。

 

みんな「理由」があって生まれて来ている

 

そもそも生きていることに意味を求めること自体をやめたほうがいいでしょう。

自分の行いとか能力で生きている意味が決まるのではなく、そもそも生きていることに意味なんてありません。

なぜ生きているのか。そもそもなぜ生まれてきたのか?という問いには、「生まれる理由があったから」と考えるほうがしっくりきます。

理由というのは、自分の中での理由ということです。

自分が生まれたかったから生まれた。ということですね。

 

人は生まれる前から、自分の人生はこういうものにしよう!と決めて生まれてくるそうです。

子は親を選べないと言いますが、これもちゃんと選んで生まれてきています。

なんでわたしの人生はこんなに辛いことばかりなの?と悲観することもあるかもしれませんが、それも自分でそういう経験をしようと決めて生まれてきています。

 

なんでわざわざ辛い人生を選ぶ必要があるんだと思うでしょうが、

その理由はさまざまです。

たとえば
前世で子供をひどく虐待してしまった。それを死ぬ間際にとっても後悔し、自分も同じ目に会うことで償いをしたいと考えたとします。そして来世の母親に事情を話し、自分のことを虐待するようにお願いしたのかもしれない。

または
苦しい思いをしている人を助けたい、そばにいてあげたいという優しい心から、あえて苦しんでいる親の元に生まれることもあるそうです。親が不安定なので自分にも被害が出たりしますが、それさえも覚悟した上で親のために生まれてくる子供もいます。

 

あなたが実際はどんな理由、どんな意志でこの世に生まれてきたのかはわかりませんが、どちらにしても、自分で決めて生まれて来たというのは確かなようです。

 

つまり
「理由」があって生まれてきているというのは、「意志」があって生まれてきたということです。

 

さきほどの「意味」と「理由」の違い、わかりますでしょうか?

意味はまわりとの比較による価値で見出すもの。

理由とは自分の中の意志、決意によるものです。

生まれてきた理由を外に求めるか、内に求めるかの差ですね。

この発想の転換がとっても大事です。

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人生は修行である

 

前提として

この世には魂の修行をするために生まれてきているようです。

魂は肉体が死んでもなくならず、輪廻転生で再び違う修行をするために生まれてくるのだとか。

 

だんだん宗教っぽくなってきたかもしれませんが、抵抗のある人は無理に信じる必要はないので、そういう考え方もあるのね~くらいに思ってください。

わたしはこういうの大好きなんですがね笑

 

前世ではこんなことを失敗したから、今世ではそれについての経験を積めるような人生にしようって感じで、あらかじめ自分で課題を設定してから生まれてくる。

今世中に課題をクリアできなかったら、来世もまた同じような課題に取り組むことになるし、クリアできたらまた来世は違う課題を設定する。

そうやって徐々に成長していくようになっているのだとか。

なかなか面白い考えです。

 

こういう発想で物事をとらえていくと、なにか困難なことがあっても、「さーてこの課題はどうやってクリアしてやろうか」と自分が生まれる前に設定したであろう課題に前向きに向き合っていける気がしますよね。

 

人生は修行と言いましたが、あくまでも成長するための前向きな修行であり、決して神様も自分もいじめてやろう、辛い目に合わせてやろうと思って生まれてきているのではないということだけは、信じてもらいたいなと思います。

そうしないと、ただただ辛いだけになり、生きていることに何の意味も見い出せず、非常に悲しい人生になってしまいますから。

誰もあなたを本当の意味で苦しめようとしているんじゃなく、大きな視野でみればすべてがあなたにとって一番良いことが起こっていて、誰もがあなたの成長を応援している。と考えれば、また見えるものも違ってくるのではないかなと思います。

この記事の内容がほんとなのかウソなのかは実際どうでもよくって、あくまでも自分がよりラクに、より前向きに、より幸せに生きられる考え方を選んで欲しいなと思っています。

 

人生に意味を求め、自分の価値を探すのはやめにして

自分はなんらかの理由をもって生まれてきたこと

それは自分の成長にとって必要なものであることを知り

ただひたすら自分と向き合って

どうしたらより良い人間になれるかを考え

決して人生を悲観せずあきらめず

前向きに生きて欲しいなと思います。

 

なんでこんな記事を書いたのかというと

最近、前世療法の本とかを読んだから頭がそういう方向に行ってたというのもあるのですが

検索エンジンで「生きる意味」って検索すると

まぁいろいろと悲しい記事がヒットしまして、

やはり自分が生きている「意味」を考えてしまうと

どうしてもむなしくなるというか、意味を見いだせないんですよね。

だって意味のために生まれてきてるんじゃないから。

 

だから

この記事を読むことで少しでも発想の転換になって、

また前向きに日々を生きていってもらえたらな~と思い、書いてみました。

 

生きていることに意味があるんじゃなくて

何らかの理由があって

あなたの意志でこの世に生まれてきてるんだよ。

 

だから意味があるとかないとかどうでもよくって

それよりも

どんな理由でどんな意志で自分は生まれてきたんだろうと

その答え探しをするように

ワクワクしながら日々を過ごしてみて欲しいなと思います。

 

ということで今日はこのへんで!

キャナナでした^^

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